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2011年8月16日 (火)

こんにちは森下いわおです!№3ができました。

最近知り合った若い人や知り合いに、よく聞かれるのが、どんなことしてはるんですかsign02

メインの仕事はもちろん議会だが、一般的にそれ以外に何をしているのかがなかなか分かりづらいsign01かつての自分もそうだったが・・・

相談者からの電話があればできるだけすぐに訪問し、時には市役所を一緒に行ったり来たり、その後どうなったかの訪問、選挙後こうした相談が55件を越えた。選挙の前や最中からのものをあわせると90件。すぐにできることから、なかなか難しいものまでいろいろsign03

他には、議員団や支部の人たちとの会議も多いし、議会での発言のために新聞や資料をできるだけ見逃さないように(これがなかなか充分にできない)と目を通しすwobbly

危険な交差点での朝の通学路の児童の安全見守りを学校のある期間は行なっている。 聞いた話だけではなく実際に地域の中の問題や状況を、自分の目で確認に行ったりする中で、これもはじめた事だが、他にもいろいろあり、その都度出かけていく。

こうした活動の全てはお知らせできないが、できるだけ定期的にニュースを発行して、知らせていく。それが、こんにちは森下いわおです!№3の今回は岩手県陸前高田市へ支援に行った内容を遅くなってしまったが、やっと作ることができた。

写真入りのニュースで容量が大きすぎてここにアップできません。私の力量不足で・・・wobbly

すいません文章のみ紹介しますcoldsweats01

岩手県陸前高田市へ支援の  ボランティアに行ってきました!

去る、7月15日から20日にかけて、日本共産党泉大津市会議員団3名で、岩手県陸前高田市へ支援のボランティアに行ってきました。視察だけでなく、実際に支援物資を届けるなど仮設住宅を訪問したり、聞かせていただいた話や見てきたことを、ご報告させていただきます。

 私は3月11日、民主商工会の重税反対の集会とパレードに参加。地震があった時はちょうどパレードの最中で、周りの人も誰も気が付きませんでした。市民会館に戻る途中で、防災無線から津波注意報が出ていると放送はしていたが、状況も分からず、急いで家に戻ると、近所の人から「どえらい事になった」と声をかけられ、テレビをつけました。津波が田畑をのみこんでいる映像が目に飛び込んできて、しばらく呆然と見つめることしかできませんでした。
 翌々日に事務所開きを控えていたが、選対のみんなで相談の結果、「今できることは救援募金しかない」と連日駅前やスーパー前で取り組みました。
 若い人からお年寄りまで、貯金箱をわざわざ家から持ってきてそのまま渡してくれた人、財布をひっくり返して入れてくれた人、多くの小中高生もお小遣いを入れてくれました。
 多くの人が「共産党はしっかり届けてくれる」と信頼を寄せて募金をしてくれ、選対として約60万円のご協力を頂きました。本当にありがとうございました。
 選挙後、臨時議会、定例議会もあり、7月にようやく時間をつくることができました。
 美しい東北の山々を抜けて、陸前高田の市街地へくだると目の前の景色が大きく変わりました。津浪は、内陸部7キロまで押し寄せ、山にぶつかって止まった跡のがれきが、そのまま残されていて、うかがい知れました。 さらに進むと、何も無くなってしまった土地に、3階立てのビルよりも高く積み上げられたがれきの山があちこちにあり、残された建物や車の無残な姿、折れた電柱やまだ放置されたままの物など、ため息どころか声も出ない、ただ見つめることしかできませんでした。
 現地では、日本共産党が中心になって開設している共同支援センターが、全国から送られてくる支援物資を青空市で無料提供し、何もかも無くしてしまった人たちにとって当初から重要な役割を担ってきました。
 私たちは、この青空市の準備や片付けを手伝い、やってくる人たちに物資の提供をしました。また、地域の一軒一軒を訪問をしたり、新しく開設された仮設住宅へ行き、困っていることはないかなどの要望を聞く活動や、訪問した仮設住宅に移動青空市として物資を届けるなど行ないました。
 津波の被害の無かった地域も、ご主人が、入院していて直後にヘリで緊急搬送されたものの、カルテが全て流され連絡も取れなかったため、3日間治療ができず、14日後に亡くなってしまったという方の奥さんは、大阪から来た私たちに、これまで誰にも言えなかった胸の内を、はじめて話をしたと教えてくれました。病死とされてしまうため、新聞にはこうした人の数は上がってこないし、保障もなく「津浪関連死として認めるべきだ」と、国会で日本共産党の高橋千鶴子衆議院議員が求めていた現実を目の当たりにし、胸がつぶれる思いで話を伺い、もどって地元の藤倉市会議員に伝えました。「泣いてばかりはいられない」と畑仕事を再開したとがんばる方に逆に励まされ、お互い行方が分からなかった人が、同じ新しくできた仮設住宅に入り、移動青空市で偶然再会するなど感動的な場面にも出会いました。しかし、「働く所がなくなってしまった」など、「生活をしていくためのお金をこれからどうしていくのか?」「家も土地も失くした、2年後には仮設住宅から出なければならなず、どこに行ったらいいのか?」など、切実な要望も多く、大量に残された瓦礫の撤去をはじめ、働く場の確保など、被災地・被災者の声に寄り添った新しい町と個々の人の生活の再建を一刻も早く進めていかなければならないと実感しました。
 私たちにできることはわずかでも、行政として取り組む支援や、個人としてできることなど、息長くできる支援を引き続きがんばっていかなければという思いを胸に帰ってきました。

文章ばかりで長く読みにくくなってしまいました。あきずに最後までお付き合いくださった方、ありがとうございましたshineもう少しあるので、また後日紹介します。

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