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2011年10月の9件の記事

2011年10月27日 (木)

大津川の階段に手すりがつきました!

大津川の階段に手すりがつきました!
朝の通学路の安全見守りをしていたら、いつも大津川の河原で犬の散歩をしている方が、「手すり立派なのついたね」と声をかけてくれた

4月の選挙の後、その方から、お年寄りがこれまでも、転んだりして危ないので手すりがつけれないかと相談されていた。

さっそく市の担当課にいくが、2級河川の大津川は大阪府の管轄。階段下の河原は、公園として市が借り受けていて市の管理だが、堤防は大阪府の管理でできない、できるだけ少し先のスロープになっている所を利用してほしいと言われた。

しかし、そこに階段があればわざわざ遠回りするより、行けるだろうと行く。ただ意外と急で階段幅も狭く転んでしまう。

阪南地区の共産党の各市町の議員団合同での、大阪府への要望書にも入れてもらい、交渉でも忠岡側の階段には全て手すりがついているのに、泉大津側にはたったの1ヶ所しかついていない事を指摘をし、利用者も多くて、転んでケガをした人もいる事などを訴える

府側は、市と相談して検討するとの答弁。

その後、市と相談もして、そこからは思いの他早く設置された

ずいぶん前から要望もあったようだが、この半年いろいろ調べたりして動いただけに、形になるのはうれしいものですね

2011年10月20日 (木)

東北を後にして!

朝、岩手県一関市を出発。一路大阪へ

今日も快晴で、行きの日本海側で雨にあったがそれ以外はほぼ晴れて、作業や青空市が予想以上にできたことが何よりの3日間だった

被災地では変わらぬ光景だったが、防潮堤の石や土嚢が積み上げられていたり、がれきの仕分けが少しづつ進んでいて、そうした作業をする人に日当が出るようになったり、海の中に沈んだ車やがれきなどの引き上げに、漁に出ることのできない漁師さんが当たっているとも聞いた

仮設の店舗も7月には全く無かったが、いろいろと出来てきて、暗くなった帰り道にも、まだまだ仮設の店舗作りにがんばっておられる様子を見ることができた

民間や、地元の人、ボランティアは必死に再建に向けて1歩1歩すすんでいこうと努力してがんばっているが、政治が全くついて来れていないというのも、今回ものすごく感じた点だった

帰り道は、快晴で東北の山々や磐梯山の紅葉、日本海の青い海、夕日もきれいで、とても和まされて、長時間の運転だったが無事に帰ってきました。

トータル2630キロ、一気に13万キロになりそうです

2011年10月19日 (水)

被災地支援ボランティア3 日目

被災地支援ボランティア3<br />
 日目
昨夜から冷え込んできた。朝の行き道の温度計が3度で、昨日までは同じ7時過ぎで10度。フリースとジャンバーを着込んで何とか過ごす・・・大阪ならほとんど冬のよう(*_*)
昨日の布団を届けたおじいさんは、間に合ったかなと思いつつ大船渡に到着。
今日も昨日と同様に、浸水のみの家が多い地域で、青空市を行う。
大勢の人が来て、2日間で200枚くらいあった毛布布団類が、ほとんど無くなる。写真は、午後の青空市で時間が押して間に合うかどうか?心配したが、集まってきた地域の人が、みんなで手分けして広げるのを手伝ってくれる様子です。みなで助け合うその姿に胸が熱くなる。
今回は本格的な冬を迎える前に、寒さ対策の物資を届ける事ができ、第1義的な役割ははたす事ができた事が何よりだった。
2回目の東北だったが、やっぱり新しい気づきもあり、いろいろと考えさせられました。

2011年10月18日 (火)

大船渡で震災支援の活動

大船渡で震災支援の活動
本日は晴天に恵まれ、昨日届いた物資を、さっそく届けようと、午前午後と2ヶ所で青空市を開催。
今回行った所は、1階が水にすべて浸かったが、建物は残っている家が多い地域。
ヘドロで家電も布団も1階にあったものは、全部だめになり、避難所はもっと被害の大きかった人達が大勢いて、自宅2階での生活を余儀なくされた。
そのため、支援の物資も補償もなく、自力での再建をしなくてはならない。
こうした支援の物資がはじめて届けられたと、大勢の人が集まってくれた。
阪南地区から届いた、布団や毛布、冬物衣料などがあっという間になくなっていく。
布団も座布団もなかったから本当に助かった。と言っていただいたおじいさんの家まで届けにも行った。
あそこまで水がきたと教えてくれました。何メートルか先だったらとつい思ってしまうが・・・
終わった後に、向かいの美容院の奥さんが、おいしいコーヒーを入れてくれました。そこも浸水して、その時の話や写真を見せてくれました。
建物は幸い残って、頑張って全部洗って4月に再開にこぎつけたが、余震でまた被害に、結局5月1日に再開。明るく頑張っておられる様子に感動。おいしいコーヒーもありがとうございました<(_ _)>

2011年10月17日 (月)

陸前高田の今!

陸前高田の今!
陸前高田の今!
昨日、無事に一関に到着、両磐地区委員会に宿泊。
今日は朝6時半過ぎに出発、紅葉に染まる山々を抜けて、陸前高田の市街地に出ると、3ヶ月前に見た時と同じ光景が目に飛び込んで来た。
大破した車は持ち主が見つからないのか、番号が記入されたシールが張られて、そのままにされていました。
看板まで津波がおそったあとが生々しく残っていて、その高さがすごい!
がれきの片付けなどに毎日頑張っておられる。鉄くず、木材など燃やせるもの、燃やせないものが分けて、うず高くつまれている、3ヶ月前にはなかった光景も見られるが、まだまだそのまま手付かずの所も多く、もっと重機、人を入れていかなければ、いつまでかかってしまうのか?
何より、国の再建に向けた支援策が定まらす、町造りをどうしていくのかが決められないと、合間の時間に三浦大船渡市会議員から聞いた。
午前中は、阪南から送った支援物資のトラック2台が順に到着、男性陣そうがかりで降ろし、降ろした公民館の集会室がいっぱいに。毛布や布団など冬物が早くみなさんに届けられるように願うばかりです!
午後からは、田中大船渡市会議員が大船渡や陸前高田の案内をしてくれました。明日の活動と併せて、その事も報告できたらと思います。

2011年10月15日 (土)

東北岩手県に支援ボランティアに行ってきます!

先日のブログで陸前高田へ行くと書きましたが、打ち合わせで今回は大船渡市の気仙地区委員会での活動との事だった

明日は、まずは一関市を目指します。また1000キロの道のり 

翌日から大船渡へ、途中陸前高田を通っていくので、7月に行ってから3ヵ月後の状況も見ることができそうです。

ということで、明日は丸1日移動にかかりそうで、ブログはお休みになりそうです。何時に着けるか・・・・・

また、戻ってくるまでは携帯から投稿しようと思いますが、携帯で投稿すると記事の行間がつまってしかできないのと、イラストが入れれません。

いったん投稿してから、変更の仕方がまだ分からないため 誤字などがありましたらゴメンなさい。

それでは行ってきます。5時おきなので、早く寝ないといけないのだが・・・いつも夜更かししているので、まずはそこが第1関門で・・ 

2011年10月12日 (水)

再び、被災地東北岩手県陸前高田市へ!

10月16日から支援ボランティアに急遽参加することになった

今回は、寒くなってきたなかで寒さ対策などの支援物資をのせたトラックとともに・・・・・

詳しくは、明日の打ち合わせになるが、訪問活動が中心になりそうと少し聞いた

7月に行ってからちょうど3ヶ月。こんなに早くまた行くことになるとは思っていなかったが、あの時に話を聞いた人たちは、どうしているだろうか

娘さんを亡くして3ヶ月泣いて暮らしたけど、泣いてばかりいられないと畑仕事を再開したおばあさん。ご主人が入院中で、ヘリで緊急搬送されたにも関わらず、カルテが流され治療や投薬ができず亡くなってしまった。その人は病死とされ、津浪被害者に認定されなかったと、無念の思いを初対面の私たちに、はじめてその胸の内を涙ながらに打ち明けてくれた奥さん。

少しでも役にたてるよう、いろんな方のお話をまた聞いてきたい

2011年10月10日 (月)

父親のこと

9月議会の一般質問の発言通告締切の前日、実家の母からTEL

父が脳梗塞で入院した。幸い症状も軽く、母がすぐに異変に気がつき、病院に走ったため、大事には至らなかった。

議会中ですぐに行く事もできず、大丈夫と聞き少しほっとした

ようやく時間ができ、家族みんなでお見舞いに行くことができた。

もうすぐ退院できそうだが、まだはしをしっかりとにぎれないとリハビリに励んでいた。

父は、トヨタの下請けの下請け、いわゆる孫受けの小さなスプリング工場の工場長として、最後まで現場でがんばってきた。

58才の時、心筋梗塞で入院し、59歳で定年前に退職したが、スプリング一筋の仕事をすることができた事に、後悔はないと何かの機会に聞いた

子どもの頃は、普段は一緒にご飯を食べた記憶もなく、とにかく朝から晩まで働いて、不良品が出ると、深夜でもトヨタの工場に走り、納品したすべての部品を何万本も点検しなおさないと帰れなかったそうだ。

責任ある仕事を果たすという意味では、当然のことだったのかもしれないが、単価も切り下げられ、大企業の論理の中で、中小企業は本当に大変だっただろうと、今でもいっそう厳しい状況に変わりがない。

40代の頃には、ストレスから十二指腸潰瘍で入院していた事もあった。この頃から薬が必需品になり、心筋梗塞で薬漬けの生活になり、それがたたったようで今では週3回の透析。そして、今回の脳梗塞となり・・・・・

若い頃からの無理が・・・・・・父は幸い、心筋梗塞で重度内部障害の認定を受けることができたので、医療費については今はかからなくなったが、これが受けれるまでが大変だった。

高度経済成長の中、がむしゃらにがんばってきた人たち、父と同じように病気で苦しんでいる人が大勢おられる。

やっと安心して医療にかかれる年代になったら、差別的な前期と後期と分けられ、さらに70歳から74歳までの窓口負担が2割にされようとしている

政府は、税と社会保障の一体改革などと言っているが、言っている中身はいかに国民から税金を取り立てるかと、社会保障の切り下げばかり

父には病気が追加されるたびに老いを感じさせられ、悲しくなってしまうが、持ち前の不屈さと粘り強さでがんばってほしいと願うのみ

老後を安心して暮らせる、病気になっても安心して治療ができる、これが当たり前の社会とするための政治の責任は大きい

2011年10月 3日 (月)

上空から防災視察

上空から防災視察
上空から防災視察
今日の午前中、ヘリコプターで上空からの視察

大阪に2台あるうちの1台で、東日本大震災の時には、長野県栄村の地震で、孤立した人達を救助してから、東北に向かったとお聞きした

このヘリの維持なども、各市町村でお金も出し合っているので、今回のような事にも活用できるそうです。めったにない機会なので、議員団みんなで参加。

あらためて上空から見ると、市街地が本当に海から近く、市域が狭い

下の写真の上が海で、左側にアルザタワー。

高い所はもちろんないが、避難できそうなビルも点在しており、いざという時にどこに逃げるのかを、地域ごとにしっかりと決めておかないといけない。

また、大津川の津波と大雨洪水対策、下流域は川幅が広がっていて、思いのほか浅く感じた。まさに津波が遡上しやすい条件になっている。

和泉の上流部は川幅は狭くなっていくが、堤防護岸が低くなっている。決壊の危険性がある箇所があり、約1時間で板原が水につかると想定されている。

護岸工事も進められているそうだが、心配は尽きない

こうした状況が一目で見てとれ、あらためて実感し、対策を考える参考にしていきたい

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