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2011年10月11日 (火)

藤田スミさんを偲ぶ会に参加して

7期21年日本共産党の衆議院議員を務め、先の3月31日に亡くなったweep藤田スミさん。

私は、5期目のスミさんの選挙を手伝う中で、日本共産党に入った。特にお話を個人的にしたこともなかったが、すごく身近な存在に感じ(勝手にですが・・・)、普段はあまり自慢できる活動もしていなかったが、スミさんの選挙の時はけっこうがんばったscissors

スミさんの原点は、平和憲法shine 13歳の時、戦争で父親を亡くした。終戦後の葬儀の日に母が、天皇と戦犯東条英機の写真を引き裂き「こいつらにだまされた!」と慟哭した母の姿を見て、軍国少女だったが目を覚まされたそうです。flair

その後、あの侵略戦争に唯一命がけで反対し、主権は国民にあると主張してたたかったのが、日本共産党と知り入党した。

このエピソードを聞き、昨日のブログで紹介した父が、言ってくれたことと重なった。

共産党とは無縁の父で、むしろ大企業の孫受けとはいえ、自動車関連の仕事で、あまりよく思っていないと勝手に思っていた。実家にも何か政治的なことを感じさせるものも全くなかったので、自分自身も大学に行くまで関心もなにもない人間だった。wobbly

それが、障害者作業所で働き出し、障害者や家族、働く仲間たちの置かれているあまりにも劣悪で大変な状況を、目の当たりにして、こうした弱い立場の人たちのことを、本当に助けてくれるのは日本共産党しかないと実感したshine

政治が良くならなければ、いくら現場でがんばっても、障害者や家族、職員の生活や待遇は絶対に良くならないと確信し、活動もしてきた。

それでも、父に対して積極的に話をしたこともなかったが、共産党のことをよく思っていない人から、息子がそうした活動をしていることを告げ口のようにangry言われた事があった。

父は、その人に対して「日本の共産党は、あの戦争に反対した政党」「何が悪いのか」と反論し、その正当性をきっぱりと言ってくれたそうだhappy01

しばらくして母からその話を聞き、crying号泣しそうだった。

戦後、戦争に賛成し推進してきた他のすべての党は、名前を変えざるを得なかった。

日本共産党の先人たちの歴史と、この党の名前に誇りを持って、スミさんの平和への思いも引き継いでがんばっていこうと思いの強まった連休でしたo(*^▽^*)o

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コメント

田中さん、コメントありがとうございます。
また、どこかでお会いしたら声をかけてください!

 本当にすばらしい偲ぶ会でしたね。
 それにしても、大企業の下で働きながらも、きっぱりと「何が悪いのか」とおっしゃったお父さん、そのことをきちんと伝えてくださったお母さん、そして、障害者の苦しみ、願いに応える道を選ばれた森下さんの姿勢に、藤田スミさんの生き方に通ずるものを感じました。
 スミさんも、障害者作業所の皆さんとともに、数々の施設、補助、駅舎改善等の実現に、しつこいほどに尽力されてきましたから。

 トヨタのために、体をぼろぼろにされつつも、森下さんを心から応援されておられるお父さん、お母さんを大切にしつつ、スミさんの歴史を引き継いでぜひ頑張ってください。心から期待しています。
 

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