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2011年11月の6件の記事

2011年11月28日 (月)

いよいよ12月議会です!

昨日の疲れが癒えないままに、今日から議会本番モードにもっていかなければ・・・

 

10時から総務文教常任委員会協議会。早めに行って控え室で発言をどうするか思案、なかなか考えがまとまらないと悩んでいたら、すっかり時間を忘れ、開会直前のブザー。

あわてて走って会議室へ。議会事務局の職員も呼びに出てきてくれていて、始まる前から冷や汗をかいてしまった。

 

市の組織再編機構改革、幼稚園の先生の給料を府の教育職給から市の行政職給への変更の案件について発言する。

 

部や課、○○室を減らして、スリム化するという内容。これまで産業政策と市民課や福祉関係などが同じ部になっていたことに疑問だったが、これが分けられたり、点在していた環境関係の部署が環境課としてひとつになる点で理解できると発言した。

 

しかし、公営企業である上下水道局が、課になって部の中に入ることに問題はないのか?

商工会議所との連携ということで、産業政策関係の部署が商工会議所に行き、市役所に窓口もなくなってしまっていいのか?

 

こうした事による弊害、市民サービスの低下や問題は起きないのか? などを質問。

 

当初の混乱はあるかもしれないが、統括官や担当長を適切に配置することで対応できるとの答え。

 

幼稚園の先生の給料の変更については、現在より引き下げるものではないとのことだが、むしろ問題にしたのは、幼稚園訪問をした中で聞かせていただいた話。

 

幼稚園は子どもたちがはじめて受ける教育の場。どの先生も熱意をもってがんばっておられた。訪問した幼稚園は、ちょうど教育研究発表会の直前で、先生たちが遅くまで残ってその準備をしている資料も見せてもらった。

 

専門的な勉強をしてきて、資格もとってきた先生が、給料までもが教員としての扱いでなくなる行政職にされてしまう事によって、教員としてのプライドやモチベーションが低下してしまうのではないかという問題について質問する。

 

答弁は問題はないと一言だったが、事前の議案説明の時に、決して教員でなくなるわけではなく、教育委員会のもとでやってもらうからと言われた。しかし、その身分を保証する給料が、いくら否定しても、扱いがそうなってしまうという事だ。

 

私以外の委員からの発言はなく、会議は思いのほか早く終了。

 

議員団の会議も早くはじめ、一般質問の検討を本格的にようやくすることが出来た。

昨日の日中はほぼ家にこもって準備に時間を相当費やす。

提出の締め切りはあさってなので、残す日は明日のみ。3回目の一般質問だが、一番のピンチだ~

 

夜は、教育懇話会で中学校給食をどうするかの提言案を今日決めていくということで傍聴に行く。

2011年11月23日 (水)

生活保護の減少には、年金と雇用政策を改めるべき!

知事選挙の投票日がいよいよ迫ってきて、昨日、今日とひたすら訪問活動。どうしても回っておきたい地域がまだあり、132軒回り、98人とお会いする。

 

今の大阪、そしてこれからの大阪がどうなっていくのか。 この選挙の結果によって大きく変わってしまう。

 

昨日は、この時間の合間に、生活保護の相談が2件。

 

この間のマスコミ報道では、生活保護受給世帯が戦後最大の205万世帯になった。終戦直後の204万世帯から、88万世帯にまで減っていったが、バブル崩壊後から増加に転じ、リーマンショック以降はさらに急上昇。

 

人口が少なかった戦後に比べれば、同じ数字でも受給率でいえば当事ほどではないが、国や自治体の財政を大きく圧迫していることは間違いない。

 

何十年も掛けても、暮らしていくことが困難な金額しか受け取れない国民年金。それでもわずかな年金で細々と暮らしていても、病気になりとたんに医療費が払えず、生活が出来なくなる年配の人がたくさんいる。

 

それと、働くことが出来る世代。今年の4月でも、大学を卒業しても就職できたのは6割しかいない。就職超氷河期。派遣や期間雇用、アルバイトで若い頃はつないでいても、その先の保障が全くない。

 

不景気と一言では片付けられない。1部上場企業の抱え込む内部留保金は250兆円を超えたという信じられない金額。過去最高の収益を上げていても、派遣や期間雇用などで働く人たちを使いまわし、正社員でも賃金を抑え込み、サービス残業が横行している。

 

戦後生活保護が減っていったのは、働き収入が増えたことと、国民皆保険年金で健康や老後の生活を守る制度が進んできたからというのはまぎれもない事実。

 

まだまだ不十分だったのに、働き方、保険年金が大きく変質させられた。ワーキングプアと社会問題になったが、格差と貧困はますます広がっている。・・・のだから、生活保護は増えるべくして増えている。

 

国が、今の派遣や期間雇用などではなく、働く人たちの生活を成りたたせる抜本的な雇用政策と、年金制度の改善なくして、生活保護には歯止めがかからない。

 

 

2011年11月14日 (月)

大津川に大量のごみが・・・

朝、ポストを見たら、昨日訪問した近所の方が、子ども医療費助成制度の年齢引き上げを求める署名を入れてくれていた。留守のお宅も手書きでメモを書いておいたので、早速応えてもらった。

 

帰宅して、ポストをのぞくと署名が3枚・・・うれしい限り

 

今日になって5軒20筆。トータル127筆になった。

 

今日もがんばってと思っていたが、午前中は議員団の会議。4時からは阪南合同法律事務所の弁護士さんと相談者と一緒に相談に行く。夜も会議で、中々出来なかった。

 

その合間に、台風12号で流れてきた大量の木や竹、ごみなどが大津川の板原橋の辺りの河川敷に溜まっている問題の対応。大阪府の管轄なので、市を通じて確認してもらうが、川の流れを阻害していないのでやらないとの答え。要するに河川敷に溜まってはいるが、量的にまだ業者入れて処分する段階ではないと・・・・・

 

「え~」 出来ないという理由に驚いた。どの程度現場を把握しているのかまでは聞いていないが、どう見てもかなりの量、確かに川の流れには今は邪魔にはなっていない。

 

しかし、まず景観的にひどい。

次に大雨で川があふれ上流からの流出物でさらにそこに溜まっていく恐れがある。

そこにとどまらず、一緒にさらに下流に流れれば、両岸は公園になっており、そこにある健康器具や物を破壊する恐れがある。

 

この前の台風12号で、忠岡側のグランドはこうした流出物で大変なことになっていた。泉大津側の公園の健康器具も以前に壊れて流され、今の新しいものがついたといつも散歩している人から聞いた。

 

こうしたリスクがあれば、まずはその恐れのあるものは取り除くというのが、リスクマネージメントの基本ではないか。

 

検討すらせずに、そのまま放置しておいたらいいということを平気で言う神経が分からない。前知事は、退任の時自分の改革で優良会社になったと言ったが、優良になったのは自分の言うことをよく聞く様になっただけで、現場、住民の立場、思いにたっての返事とはとても思えない出来事だった。

 

さて、このままにもしておけないし、どうしたものか頭の痛い問題がまた増えた。

 

2011年11月13日 (日)

子ども医療費助成制度拡充の署名に取り組んでいます。

上記署名の取りまとめが11月末までで、これまであまり取り組めていなかった。

 

・・・ので、頑張らねばと、今日自宅のある同じ住宅地をまわる。金曜日に、お願い文章と署名をポストに入れさせて頂く。

 

185軒を全てまわり、52軒でお会いでき、ご協力して頂く。いいお天気でお留守も多かったが、お出かけでもポストなどに置いてくれている家も何軒かあり、家のポストに届けてくれた人も・・・

 

6時間近くかかったが、107筆集まりました。ご協力してもらったみなさんありがとうございました。

 

12月に子ども医療費助成制度の拡充をめざす泉大津の会(代表:畠田博司)が、泉大津全体で集めた分を、市長に提出します。

 

引き続きの、ご協力よろしくお願いします。

2011年11月 5日 (土)

泉大津市総合避難訓練に参加

泉大津市総合避難訓練に参加
今日の午前中は、上記訓練に参加。

 

東南海・南海地震を想定して、各町の自主防災組織のみなさんなど、子どもから年配の人まで多くの人が参加されていた。

 

写真の奥は、倒壊しそうなビル屋上に取り残されている人を、はしご車を使って救助している様子。手前の救護テントは、エアーの力であっという間に立ち上がり、救護者を収容する。新型インフルエンザが大流行した時に、実際に市民病院で立てたそうです。

 

実際の場面を想定して、沿岸にいる人に対して、警備艇からの警報、津波漂流者の救助など、地震発生から時間を追って様々な事態に対しての訓練が行われていた。

 

大切なのは、その場だけのものに終わらせないこと。こうした訓練を多くの人に知らせて、日頃の教訓にできないものか。

 

ダイジェストビデオとかにして、学校の避難訓練や様々な集まりで上映してみるというのはどうだろうか?

消防車や警備艇、ドクターヘリなども登場し、訓練もリアルで、実際に参加したいという人も増えるのではないか?!

 

一人でも多くの人の意識改革ではないだろうか。

 

2011年11月 2日 (水)

泉大津港に高線量の中古車が?

泉大津港に高線量の中古車が?
24日の朝日新聞の夕刊の1面記事

 

「知ってるか」と声をかけられ見せてもらった。他紙をとっていたため知らなかった。

 

全国で、こうした福島原発近くに止めてあった車が、流通しているとの内容で、写真は泉大津の港のもので、「どうなっているのか?」との質問を受け・・・

 

早速、市の港湾局へ行き確認。

 

泉大津港にも大規模な中古車のオークション会場があるので、全国から車が集まってくる。記事では、全台検査を義務付けるべきと書かれていたが、すでに泉大津では検査は行われており、これまで2台高線量の車がでている。

 

飛散防止のカバーをして、送り主に返送されており、すでに泉大津の港にはないとの事・・・

 

こうした車が出たら報告をするため、おそらくその情報で記事になったのだろう。

 

記事は全国的に流通している車が増えているようで、国がガイドラインを示すべきと締めくくっている。それはそうかもしれないが・・・・・

 

しかし、泉大津港の写真まであるため、ここから全国に流通しているかと誤解してしまう。

 

まぎらわしい報道はかえって混乱を招く。

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