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2012年3月の10件の記事

2012年3月31日 (土)

ごみ等のポイ捨て及び飼い犬のふん等の放置の禁止に関する条例

ごみ等のポイ捨て及び飼い犬のふんの放置を禁止する条例
今日で3月も最後、明日から4月。新年度のはじまりです。

 

泉大津市では、上記条例がはじまります。市役所の一番下の横断幕も新しくなり、青いのぼりも出来あがっていました。

 

日本共産党の先輩議員で、昨年バトンタッチし引退された中口あきつ議員が、『きれいで気持ちよく住めるまち』にと、一般質問で取り上げてきた事でもあり、制定されて嬉しく思います。

 

2010年12月の議会の一般質問で中口議員は、泉大津駅周辺の一定のエリアで、自ら拾い集めたポイ捨てされたタバコ837本を、議場に袋に入れて持ち込み実際に見せて、こうした実態があることを示して、ポイ捨て禁止条例の制定を求めていました。

 

タバコだけでなく、不法投棄、犬のふんの放置などの迷惑行為も市民から寄せられた声もいくつか紹介していました。

 

議員になると決めて候補者になったばかりの時の議会で、一般質問を傍聴させてもらい、市民からお聞きした声だけでなく、自らも調査して議会にのぞむ姿勢と、その方法に大変感心し、勉強になりました。

 

この間の橋下維新の会の、大阪市の議員が寄せられた名簿をよく調べもせず、議会で持ち出した問題。偽造されたものだったにも関わらず、情報に対して確たる証拠、信用できるものでは無かったのに、これぞとばかりに持ち出した。

 

確認のしようがなかったなどと言っているが、その議員も、この名簿の問題をツイッターにまで投稿し攻撃してきた、橋下市長の責任は重いはず。

 

以前、偽のメールを国会で取り上げ大問題になった。問題の本質は同じだと思うが、これがあったから組合を正すことができたかのように言って問題をすりかえ、開き直り、謝罪もしない、こんなおかしなことはない。

 

2012年3月29日 (木)

豊田光雄作品コンサート♪

岸和田の音楽家で豊田光雄氏の作品コンサート『ウタノミライ』が6月24日(日)に開催される事になり、いろいろな合唱団などの有志が構成する合唱団の初練習が行われました。

 

豊田さんとは、8年位前だったと思うが、当時障害者の新しい施設作りのための取り組みをしていて、多くの人に理解をしてもらうために毎年のようにコンサートを行っていました。

 

1000人目標に毎年、四苦八苦していた。 単に来てもらうだけでなく、市民の人と一緒に創りあげるコンサート、そうすることでよりいっそうの理解と協力の輪が広がると。

 

市民の人と障害者と同じステージに100人であがる舞台をつくろう『100人のオーケストラ』と銘打って企画をし、その時に音楽面で全面的に協力していただいたのが、豊田さんでした。

 

作業所ができ、コンサートなどの企画などはじまった25年位前からのお付き合いはあったようですが、私自身が一緒にさせてもらったのはこの時が初めてで、実行員会の事務局員として、豊田さんと一緒に企画作りをさせてもらった。

 

実行委員会で出される豊田さんや他の人の意見や案を、どうやって実現していくのか。

 

当時は初めての事で無我夢中で、事務局メンバーで手分けしてやったのが、その後の仕事にも今現在でもとても大きな影響を与えてもらったと今でも思っています。

 

 

上の写真はその時のパンフレット。コンサートは、竹を使って障がい者もたたく竹太鼓。地域の中学校の吹奏楽部にも出演してもらい、地域のいろんな合唱団の有志、各作業所の障がい者や家族・職員の合唱メンバーとで総勢なんと170人の舞台になりました。

 

作業所で長年歌い継がれた歌、豊田さん作曲の歌、間に演劇や、太鼓、明日があるさ(作業所バージョン)、世界にひとつだけの花。

 

本当に感慨深い、自分の中では忘れられないコンサートになりました。

 

その時のご縁がきっかけで、ピースウェーブコンサートに子どもと一緒に5年出演し、豊田さん主宰のいずみの森合唱団にも少しの間所属させてもらった。

 

その豊田さんのコンサートに出て欲しいと頼まれた。合唱はそんなに経験もないが、その楽しさや充実感を、豊田さんにきっかけを作って頂いた。

 

 

 

 

2012年3月28日 (水)

地域密着型介護老人福祉施設

昨日の続きですが、見学した上記施設。泉大津市池浦3丁目に新設された。地域密着型ということで、泉大津の市民のみが対象になる。

 

小規模ということで、入所の定員は29名。デイサービスとヘルパーステーションが併設される。

 

すでに入所者は決まっているが、申し込み申請は70名あったという。同じ法人が運営している特別養護老人ホームには、250名の待機者があるとの説明もあった。

 

今回の施設開所で救われるのはわずかな人数。それでも、見学させてもらい3つのユニットに分けられた完全個室の少人数での生活、人権やプライバシーに配慮されたつくりで、一昔前のいかにも施設という感じは、微塵もない。

 

そして、可能な限り所得の少ない人でも入れるようにと、料金設定もされている。それでも本人、世帯全員が非課税で3段階設定されており、1番安い段階で、介護保険の利用者負担分48,600円+預かり金管理費5000円+実費分(日用品、おやつ代など)で8万円前後にはなる。

 

国民年金だけで満額あったとしても、払えない額・・・

 

これだけの所で生活できることを思えば、格安といえるかもしれない。

しかし、本人非課税でも住民税課税世帯なら、介護保険利用者負担額が、要介護1から5で金額は違うが1番安い要介護1で、120,952円に、5,000円に実費分で、15万円くらいか。

 

これまでの施設に比べれば、食事が選択性だったり、個室なので荷物の持ち込みも自由、就寝や起床も自由など、本人にとってはとてもよいことだし、北欧などでは当たり前なことが、ようやく日本でも泉大津でもされるようになり、これがモデルとなって、これが当たり前になることは、とても望ましいこと。

 

 

誰にも保障される北欧と決定的に違うことは、やはりお金がなければ入ることができないということ。特養なら人によっては、5万円以内で入ることができる。

 

予算委員会でも、低所得者でも入ることが出来る特別養護老人ホームの必要性を強く訴え、国の制度として市としても要望するように求めました。

 

待機者分の特養をつくるなどは現実的ではないが、少なくとも利用料が払えずに、利用したくてもできないと言う人が大勢いる。必要としている人が本当に利用できるようにすれば、介護予防もすすみ、重度化を防ぐことが出来る。

 

介護保険制度の再構築がどうしても必要です

2012年3月22日 (木)

幼児・親子教室を見学しました!

泉大津では、児童発達支援事業として『幼児・親子教室』があります。

 

1歳半健診などで、保育所や幼稚園に行くまでに、もう少し丁寧に支援をすることがその子どものためになる場合は、月3回程度の『わんわん教室』というのがあります。

 

子育ての相談などにのりながら、子どもたちに集団の場や親以外の大人や同じ年頃の子どもと触れ合う場になります。

 

しかし、月3回程度なので、出会いきっかけの場の域はでない。その後に2歳3歳となった子どもたちが毎日通うことができる場が、幼児・親子教室。

 

はじめは、走り回っていた子どもたちが、今は自分のイスに座って手遊びや、お話を聞けるようになったとのことでした。

 

朝の会では、名前を呼ばれるのを期待しながら待ちつつ、自分の名前が呼ばれたら「はい」としっかりと手を挙げていました。

 

集団の中での帰属意識もしっかり高まって、みんなと一緒にいることができるようになり、待つこと、そして、自分に注目が集まるという期待に、元気に返事をして応えることができて、うれしい気持ちになれる。あの、ひと時にいろいろな要素が盛り込まれている。

 

保育士さんが、ひとりひとりの子どもの様子と気持ちをよくつかんで関わっておられるのが、見ていたらよく分かりました。

 

今日はたまたま親子保育の日ということで、お母さんたちも一緒に体操したり、歌ったり、家ではなかなかできない、また違う子どもとの触れあいをすることができ、親も子どももはじける笑顔で楽しんでやっておられた。

 

子どもを中心に、親と保育士とそれぞれの信頼関係をもちながらはぐくんでこられたんだなあと実感しました。

 

この時期にこうした経験をつむことが、先々学校へ行くようになってからや、将来大人になってからも大きく違ってくるのは、これまでの自分が仕事をしてきた経験からも間違いない。

 

ただ残念なのは、4歳5歳になってから保育所や幼稚園に行くことがいいという子はいいが、より専門的な療育が必要な子が、小学校に行くまでの間に受けることができる場が、泉大津には全くないということです。

 

先の予算委員会でも、この問題をとりあげ、泉大津らしい専門的な療育の場の必要性を訴えています。

 

2012年3月18日 (日)

餃子の皮でりんごパイ (^o^)

餃子の皮でりんごパイ(^o^)
今日の夕方、下の小5の娘が、突然台所でりんごの皮をむきだし何を始めるのかと思ったら、学校の調理実習で作って美味しかったからと、餃子の皮でりんごパイを作ってくれました。

 

作り方のプリントを見ながら、りんごは切ってから砂糖とレモン汁をかけてレンジでチン、後はバターで餃子の皮の上にりんごをのせて焼くだけと、いたって簡単。

 

しかし、1回目は、バターが焦げたと(x_x;)

 

「りんごをのせている間は、火を止めておいたら」と少しだけアドバイスしたが、あとは全部自分でしていました。

 

皮がパリパリとして意外な美味しさ。

 

何でも自分からしてみようとするのはいい事ですね。

 

今日は雨の中、自転車で消費税増税ゆるさないと、全国で取り組まれている署名と、しんぶん赤旗日曜版の読者を増やそうと地域をまわるが、雨なのに留守が多くて署名9筆のみ。

 

残念な結果だったが、0歳の子が保育所に入れないと相談あった人とお会いする事ができ、第1希望ではなかったけど、4月からは入る事ができたと嬉しい話も聞けたので、良かった良かったです。

 

2012年3月17日 (土)

孤独死ならぬ孤立死って!

今日は、議会だよりや後援会ニュースの原稿をつくり、午後からは“第九”の練習、夜は旭校区の党後援会世話人会に出席。簡単に議会報告をして、今後の予定の確認など。

 

帰ってご飯を食べながら、夕刊を見ていたら“障害者と母、孤立死、横浜”という文字が目に飛び込んできた。

 

またか!というのが実感。特に今年に入ってから続発している。

 

1月には、釧路で高齢の夫婦。認知症の夫を介護していた妻が病死し、夫は凍死。

 

同じ、北海道では40代の姉妹。知的障害の妹の介護をしていた姉が病死したため、自力で生活できない妹が凍死。

 

2月は、東京立川市で2人暮らしの45歳の母とわずか4歳の息子は餓死。母が病死し、子どもも命を絶たれた。

 

3月には、同じ立川市。90歳の母を介護していた娘が病死し、母も・・・・・

 

さいたま市、障害のある64歳の息子を介護していた、92歳にもなる高齢の母が病死し、息子も病死。

 

そして、今日の報道は、昨年12月の事で、77歳の母が病死後に、CP(脳性小児マヒ)で重度の知的障害の息子が、発見される前日に亡くなっていたという。

 

孤独死に対しては、阪神淡路大震災後の仮設住宅で、コミュニティーや人間関係の絶たれた高齢者に相次ぎ、社会問題として取り上げられた。

 

被災地のみならず、どこの地域でも起こりうる問題として、見守りや訪問活動が行われるようになってきた。

 

しかし、介護が必要な人でも、同居人がいるということで、見過ごされてきたこうした“孤立した世帯”がどれだけあるのかと、この間のニュースに触れて実感した。

 

一人でなくても、主たる介護人が急に亡くなったら、死に直結する孤立死。

 

介護保険など、行政的な支援が入っていたら救われた命もあったはず、こうした制度も利用料などのお金が払えなければ利用できないお金の有る無しで命に差があってはならない。

 

北九州市では、いのちをつなぐネットワーク課というものがある。

 

北九州市といえば、2~3年前に生活保護の水際作戦(できるだけ受けさせないようにくい止めること)によって、生活保護が受けられずに餓死などの孤独死が連続して起こったために問題になっていたのはよく覚えているが、その反省に立ってできたのかは分からないが、聞きなれないというかはじめて聞く。

 

3個のキーワードがあるという『見つける、つなげる、見守る』というもの。

 

電気やガスが停止しないといけないほどなら情報提供すること。新聞が溜まっていたらなど、それぞれの地域や事業所が気になった情報をまずは提供してもらう。

 

それに基づいて訪問などをし、危うい世帯を見つけて、必要な機関につなげる。

 

そして、一人暮らしでなくても見守る体制をつくっていこうというもの。年間840余りの情報提供があったという。

 

この間の事件では、先月の団地の掃除には出ていたので信じられないなど、困窮した状況に気づくことができなかったケースや、近所付き合いもほとんどない、社会的な支援から取り残された孤立した状態だったことでは共通している。

 

他人事、よその地域での事と、見過ごせない事態だ。

 

2012年3月16日 (金)

障がい者の権利を保障する新たな総合福祉法の制定を求める意見書が採択されました!

今日は、朝から楠小学校の卒業式に出席させていただきました。整然と式が行われ、最後の卒業生みんなでの言葉と合唱はとても感動的で、涙をこらえながらの言葉に、思わずもらい涙をこう見えて意外と涙もろいんで・・・

 

昨日閉会した、泉大津市議会で上記意見書が採択されました。

 

障害者自立支援法は、国と違憲訴訟の原告団と、応益負担を廃止し、新しい総合的な福祉法を実施すると合意し和解している。

 

そして、障がいの当事者、関係者が参加して行われてきた、障がい者制度改革推進会議が提言をしてきた。この内容を全面的に実現することこそ、真に障がい者の権利保障に資するものとして結実する。

 

しかし、民主党政府は自らが合意したことまで、部分的な改正に留め、それで済まそうとしている。完全な約束の反故だ。

 

意見書の前文に続く項目は、以下の通りです。

 

1.障害者総合福祉法(仮称)制定にあたり、障がい者制度改革推進会議及び総合福祉部会がとりまとめる新たな総合福祉法についての意見・提言を尊重し、障がい者ら当事者の意見を十分に反映させること。

 

2.障害者総合福祉法(仮称)において、障がい者の自立した地域生活が可能となる質的・量的に充実した障害福祉施策の提供体制を確立すること。

 

3.障害者総合福祉法(仮称)制定にあたり、障がい者福祉制度を充実させるため地方自治体の財源を十分に確保すること。

 

以上、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出する。 泉大津市議会

 

送付先は衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、厚生労働大臣

 

これらの実現へ、多くの自治体から意見が上がり、国を動かすには、まだまだ多くの人たちの努力が残念ながら必要なようです

 

しかし、障がい者自立支援法を一度は廃止するとまで約束させた、障害の種別を団体を超えた歴史的な運動はまだ終わっていない

2012年3月15日 (木)

泉大津市議会第1回定例会が閉会しました。

本日の午前中、定例会最終日、予算委員会で審議してきた、一般会計予算・国民健康保健事業特別会計・介護保健事業特別会計・後期高齢者医療特別会計には反対。その他特別会計、水道事業会計、病院事業会計には賛成。

 

予算委員会の報告を委員長がした後、討論で発言しました。他の会派はすべて賛成で、成立。

 

今年になってはじめての議会なので、第1回定例会ということだが、昨年4月の選挙の後、最初の議会は、5月の臨時議会。これは、議長などの役選が中心。

 

6月の第2回定例会が、議会デビューで初の一般質問。小学校門前の安全見守り員の午後の時間帯の配置、障害者の地域移行と相談支援体制の充実、子ども医療費助成の年齢引き上げを求めた。

 

次が、9月の第3回定例会。2回目の一般質問は、被災地支援ボランティアに行った後で、災害時の情報(特に防災行政無線の内陸部への拡充)と要援護者支援プランについて、中学校給食の実施、障害者虐待防止センターの設置を求め、決算審査特別委員会は、ひたすら傍聴。

 

12月が、第4回定例会。一般質問は、特別支援教育の現状とあり方についてと、子ども医療費助成の年齢引き上げを再度求め、この議会の中で、引き上げていく考え方が示された。

 

そして、今回は中小商工業者への支援と中学校柔道の安全対策、中学校給食の実施を再度求めました。

 

ということで、まだ5月1日に議員になってから1年は経っていないが、このあと何も無ければ通常の1年の予定を経験したことになる。

 

定例の議会は年4回、たったの4回でそこしか仕事をしていないと、批判する人がいる。やってみなければ分からない、やってみてこそ言えるが、議会と議会の間には、それぞれの議員が問題意識を持ち、調査や活動をする。

 

私は、まずは未来を担う子どもたちの教育現場の状況を把握しようと議員団で決め、市内すべての8小学校と3中学校を訪問。幼稚園はまだ1園しか行けてませんが・・・これから幼稚園と保育所も行きたいと思います。

 

他にも、教育支援センター、保健センターに訪問。そして、何より東北被災地支援ボランティアで岩手県に2度訪問。住宅リフォーム助成制度を学ぶために近江八幡への視察。

 

また、いろいろな所で行われている学習会には、必要であれば行って勉強です。神戸での議員研修や、中学校給食のシンポジウムは大変参考になった。また、いろいろな団体や議員団での会議も毎週いろいろあります。

 

日々の生活相談活動で、連絡頂いた人への訪問、時には一緒に市役所に行き手続きや相談。こうした際にいろいろと聞いた話や、地域の人からの要望などを受けて、その為に必要な活動などなど・・・

 

こうした活動があってこそ、一般質問や予算委員会などでの発言の裏打ちになります。

 

なので、次の議会まではあっという間、 というのが本当のところでいつも余裕無くなっています。

 

特に今回の予算委員会は、入るまでその大変さは分からなかった。でも、やってなんぼ、喋ってなんぼの仕事やなあと実感。その為の日々をどう過ごすか・・・

 

まだまだ、らしくない議員ですが、もっと成長できるように日々を大切にしていかなければと思います。

 

2012年3月14日 (水)

脱原発の報道はどうだったのか?


3.11の震災の報道は、家族の思い出や絆など、過去、現在、未来に向けての報道が目白押しだった。涙を誘うものも多かった。

 

しかし、生まれ故郷や家族も引き離された元凶になった原発を、無くしたいと全国で、世界で大きくの人たちの行動はどう報道されたのか?

 

しんぶん赤旗は1面と、上の写真の4面5面見開きの四分の三、各地の集会とパレードの様子が詳しく報道されていた。

 

下の写真は毎日新聞、4コママンガの横の小さいスペースで、全国で脱原発の集会があったという簡単な記事だった。

 

テレビも、オーストラリアやアメリカで脱原発の集会があったという短いニュースを見たくらいだった。ニュースソースとして、世界の人たちにも、脱原発の動きがあるというのは分かるが、何か遠い国での事のように感じさせようとするのか。

 

肝心な国内の集会やパレードの報道はどれだけされたのか? 疑問です。ほとんど目にしなかったのは私だけだろうか。

 

こうした動きをあえてあまり報道させないとする力が働いていると思ってしまう。

 

しかし、原発の危険を事実をもって証明したフクシマの悲劇を、二度と子どもや孫たちの将来にあってはならない。この願いは、原発や核兵器も含めて、核、放射能の脅威が無くなるまで、途切れる事はないだろう。

 

福島では1万6千人、東京8千、大阪8千、泊原発の北海道2千、青森1千5百、群馬2千5百、神奈川県川崎1千6百、愛知5千、浜岡原発の静岡1千1百、日本一の原発銀座の福井1千2百、長野1千8百、兵庫2千5百、高知1千1百、被爆県の広島2千4百、北九州5千、福岡5千などなど、他にも玄海原発の佐賀、山梨など千人以下でも大阪の河内長野市や広島の原爆資料館前など

 

他にも、いろいろな地域で津々浦々でこれ以上の人たちの行動があった。

 

そして、世界では脱原発を打ち出したドイツ、スイス。韓国でも大きな行動があった。そして極めつけは、原発大国のフランスで、6万人もの人たちが、原発のまわりを取り囲んで手をつなぐ人間の鎖。

 

75%の電力を原発でまかなうフランスだが、少し前に電力不足に落ち入り、自然エネルギー政策に大きく切り替えて、すでに順次原発を停止していっているドイツから電力の供給を受けるはめになった。

 

この事を見ても、事故や検査で止まり、再稼動に時間がかかる原発は、電力の安定供給につながらない。

 

日本では54基の内で、動いているのはあと2基、これもまもなく検査で停止。

 

再稼動を許さず、原発が無くても問題ない事を証明しよう。

 

2012年3月11日 (日)

なくそう原発3.11 府民集会に8000 人

なくそう原発3.11<br /><br>
 府民集会に8000<br /><br>
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今日は朝から議員団で打ち合わせを少し持ち、10時半からは泉大津駅前で、3.11から1年にあたり、被災地支援のカンパと原発ゼロ署名活動に参加。

 

午後からは扇町公園で取り組まれた『なくそう原発集会』とその後の『パレード』に参加。

 

2時46分には参加者全員で黙祷。

 

福島県で農業をされていた方の訴えに心うたれました。有機農法で安心安全なお米や野菜を作っていた農地は、今も水に浸かったまま放置をされて、かろうじて残った家にも、帰る事すらできないという現実。仕事といっても除洗作業か原発の瓦礫の撤去くらいしかないと怒りを込めての話でした。

 

今も福島県では、16万人が避難していて、そのうち6万人は県外への避難。生活再建と雇用の確保が、できなければ人口流出は今後も続きます。

 

どんな思いで福島を去らなければならないのかと、心が痛みます。

 

こうした事態を引き起こす危険、そして増え続ける量の核廃棄物は、いまだに処理できずに増え続けています。

 

原発をなくして、自然エネルギーなど再生可能なエネルギー政策への転換なくして、子どもたちに安心な社会を残す事はできません。

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