阪神淡路大震災から20年…あの時、私は!
今日、阪神淡路大震災から20年を迎えました
この間、テレビや新聞などで様々な追悼の企画が・・・
昨日の毎日新聞の特集記事、震災の被害、状況を写真で、また東日本大震災との被害の比較も・・・
あの時、私はどうしていたのかを思い返していました。
あの朝、古い木造アパートの2階に住んでいたので、けっこう揺れて目を覚ますと、本棚から本が落ちてきて、あわててその本棚を手で押さえました。
揺れがおさまって、少ししてからテレビをつけて、その映し出された映像に衝撃を受けました。今までに見たこともない惨状でした。
すぐに働いていた高石障害者作業所に行くと、机の引き出しが全部あいていて、こんなに離れていたのにと驚きました。
震災3日目には、何人かの同僚と作業所のトラックに支援物資を積んで、神戸に向かいました。
障害のある人たちは、避難所には避難ができず作業所に避難していたが、指定避難所でないために「救援物資がまったく届かない」と、いうSOSがあり・・・
その後、約3ヶ月間は現地に開設された障害者支援センターに派遣されました。
ここでは、主に安否の確認がとれない障害者、家族の訪問活動を・・・
行政ではまったく把握ができずに依頼があったためです。
半壊状態の自宅に取り残され、急ぎ食糧を届けたり、病気で身動きがとれず救急車とヘリで搬送したという緊急事態も・・・
全国から来てくれたボランティアさんにどう活動してもらうのか 連日、深夜まで翌日の予定を組んだり・・・
その時の教訓、経験は、その後や今の議員活動にも生かされ、泉大津でも福祉避難所の必要性などを訴えてきました。
かつてない事態の中で、どの人も必死だったし、私の中でも絶対に忘れることのできないものになっています。
20年たって、復興公営住宅の借り上げの期限がきた問題などで、無理やり追い出されるようなことはあってはならない・・・
まだ、こうした問題に苦しめられているという事態があることは、あまり知られていないのでは
あの時を忘れないというだけでなく、今もなお起こっている問題に対してもしっかりと目を向けていかないといけない。
こんなことはもう二度と起こらないだろうと、思ってしまいそうになった時に起こったのが東日本大震災・・・
日本に大丈夫な所などないと思い知らされました。
だからこそ、自分たちの住んでいる地域でしっかりと防災対策をしていかないといけない
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