いずみ野福祉会の40周年記念式典へ
いずみ野福祉会の「40周年記念式典」へ、ご招待を頂き出席させてもらいました
ちょうど半分の20年、日本福祉大学を卒業後すぐの22歳・1990年から働きはじめ・・・
最初の勤務地が、高石市で未認可だった共同作業所が、羽衣の地に移転して知的障害者通所授産施設「高石障害者作業所」としてスタートした1年目でした。
その後の岸和田の勤務では、新しい施設づくりの運動や他の障害者団体との関わりで、自分の施設内だけでなく、地域の市民や団体など様々なつながりを実感させてもらいました。
忘れられないのは、95年の阪神淡路大震災・・・兵庫の障害者作業所を支援しようと、2日後にトラックに荷物を積んで、それから約3ヵ月間、現地に泊り込んで、毎週4日づつ交替で支援に入ったこと
そして、97年の共同作業所全国連絡会(現きょうされん)の「第20回全国大会・大阪」で、事務局として約半年、毎日大阪市内まで通って準備をしたことも忘れられないこと
その97年に開所した生活施設「やまだいホーム」や2001年の高石初のグループホーム開設、2002年の身障療護施設「梅の里ホーム」の開設時期に勤務し・・・
開設当初の楽しさや苦労をいろいろなところで経験できました。
2部は、やまだいホームの盆踊りの時からお世話になっている泉州音頭の政若会さんによる、祝いの伊勢音頭
「障害のある人も誰もが自由に働き、暮らせる社会を」と、「切実な願い実現」のために歩み続けてきた40年・・・
その一端を担うとまではいかなかったかもしれませんが、多少の力にはなれたかなぁと・・・
今やらなければならないこと、自分が何をしなければならないか、1歩づつでも前に進んで行こうと・・・
毎週、毎週、駅などで募金活動をしてマイクで訴えていた経験は・・・今でも駅頭での宣伝活動で、一番役立っているように思います。でも演説、長くしゃべるのは苦手です。
障害があっても無くても、誰もが自由に働き、普通に暮らせる社会の実現・・・
そして何より「平和」であってこそ・・・この思いをまた強くできた日になりました
ありがとうございました。
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