阪神淡路大震災から28年
28年前の1月17日・・・この日は私にとっても決して忘れられない日。
経験したことのない大きな揺れで目が覚め、その後のテレビから流れてくる映像に驚愕。
当時はまだ一人暮らしで、住んでいた文化住宅と言われるアパート、神戸だったらひとたまりもなかったのでは・・・
3日後に、神戸にある障害者の作業所へ救援物資を届けることになり、同僚とトラックで現地に向かう途中で見た光景。
阪神高速が倒壊、倒壊していない道で信号待ちをしていた時に余震があり肝を冷やしたこと。
直接被災はしていないけど、その後の3カ月間は、現地に設けられた「障害者支援センター」に派遣され・・・
窓ガラスが割れた県社協のビルの中にテントを張って寝泊りしながら・・・
全国から来てくれたボランティアの割り振りをしたりしながら、障害者やその家族の安否確認のため避難所を訪問、確認出来なければ自宅を訪問。
半壊状態の自宅で、冷蔵庫にある物でしのいでいたり、中にはケガや病気で救急車を要請したことも・・・
迷惑をかけるからと避難所に行けないからという言葉がずっと頭の片隅に残ったまま・・・
議員になって、何度も防災対策や避難所環境の改善を求めてきた私の原点です。
福祉避難所という考えが世間的にもようやく認められつつあり・・・
避難所となる体育館のエアコン設置や、雑魚寝ではなく段ボールベットに、家族ごとの空間を分けるテントなど、泉大津でもこの4年間でやっと進んできたのはうれしいこと。
この時の教訓を生かし、引き続き防災対策は私のライフワークのひとつ、しっかり取り組んでいきたい。
今朝は犠牲となった方を追悼し、朝の通学路の見守りに向かいました。
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